ヒーロー
あの頃の僕はまだ幼くて、恋だの愛だのなんて感情は分からなかった。
あれから二十年。
今思えばあれは間違いなく・・・僕の初恋だった。
僕の町は観光地だ。
とはいっても大きなレジャー施設があるわけでも無く、アミューズメント施設があるわけでもない。町と言われてるが正直狭い。
そんな小さな町だ。
でも、都会には無い自然と、夜は星空が満天に広がり、夏場は町全体が自然と融合した巨大なアミューズメント施設に変わる。
それが受けてか、毎年夏場になると都会からキャンプを兼ねた人達が訪れ、町は活気に溢れる。
うん。自然様万歳だ。
だからか、僕も都会に出る事は無く、未だにこの町に居座っている。
別に都会が嫌いなわけではない。大学の頃は四年間だが都会で生活もしてた。
それでもこの自然が愛しいのか気付くとこの町の市役所に。環境課に就職することを選んでいた。
いや、愛おしいというのは大げさかな。
僕は多分・・・彼女と過ごしたこの町の自然を守りたいと思っているんだ。
「それではこれで一学期を終わります。大学受験を控えた大切な夏休みです。羽目を外さずに、しっかりと―」
担任の終礼が終わり、待ちに待った夏休みが訪れる。
受験を控えた夏休み。こんな田舎でも町には進学塾があり、僕を含む大抵の受験生がその塾の夏講習を受ける。
そんな受験生の夏休みを自ら待ちに待ったなんて思っている高校生は多分僕ぐらいなんだろう。
その理由がこの夏講習の塾にある。
「おはよう、末木君」
僕が席に座ると後ろからおっとりした声音が話しかけてきた。
「うん、おはよう。加々美さん」
僕も自然に言葉を返す。
「今日は早いんだね」
加々美さんはそのまま僕の隣に鞄を置き、腰を掛ける。
「あ、うん。今日から夏休みだから」
凄く自然に。違和感も無く。
「あ、そっか。だから今日やけに人多いと思ったんだ」
「加々美さんはいつもこんなに早く来てるの?」
時間は午後四時。他の塾だとどうか調べてもいないので分からないんだけど、この町唯一であるこの塾は午前と午後でそれぞれカリキュラムが施されている。
午後といっても始まるのが午後六時からなので正直夜という時間ではあるが、そこに関してはもう暗黙の了解として此処に通う受験生は受け止めていた。
「うん。だって私学校無いから。いつもこれぐらいには来てるよ」
「・・・学校が無い?」
さらっと告げられた加々美さんのプライベートな一部。
僕はそんなに分かりやすい表情をしていたのか、加々美さんは僕の顔を見るなり、
「あれ?驚いた?」
と、口にした。
「・・・うん。予想外の答え過ぎて、さ」
そっか。だから僕が学校帰りに来たときにはもう塾に居るんだ。でも、学校が無いってどういう事なんだろ?
・・・そういえば、加々美さんが制服着てるところを僕は一度も見た事が無い。塾ではいつも薄ピンク色のワンピースだし。
あれ?僕はいつの間にか、そのワンピース姿が制服だと錯覚していたのだろうか?
とても似合っているからその事に気にも止めて無かったのだろうか?
どちらにしても知ってしまった事実に僕は困惑していた。
塾が終わった帰り。僕は加々美さんと帰る事になった。
塾から出ようとした時に加々美さんの方から声をかけてくれたのだ。
「末木君。さっきは一体何を考えていたのかな?」
「さっきって?」
「私が、学校が無いって言ったときだよ」
「あ・・・うん、別に」
「うそだ。あの時の表情はそんな事を言っている表情ではなかったよ」
暗い夜道を僕と加々美さんは自転車をおしながら歩いていく。
「そう・・・かな・・・」
「そうだよ」
そう言うと加々美さんはクスクスと笑った。その笑顔はあまりにも可憐で、だけど・・・
何故か哀しい。そんな笑顔だった。
「別にね。いじめとかじゃないよ。制服が私服なのも服装の指定が無いだけだし、学校が無いのももう通ってる学校の単位を全部獲っちゃただけだから早めに受験勉強に専念することにしたの」
僕が思っていた事を加々美さんは答えてくれていた。
「それで・・・こんな田舎に?」
「そう。だってここは私の大切な場所だから」
「大切な場所?」
「うん。小学生の頃過ごした大切な場所。私にとって一番の・・・」
加々美さんはその言葉と同時に僕の顔を見ていた。
その目は真剣に僕を見つめていた。
・・・何故だろう。その言葉とその目は間違いなく僕に何かを訴えていた。
何かを忘れている?
その時、僕の記憶の奥深くに幼い女の子のシルエットが浮かんだ。
なんだ?今の?
青いワンピース?に長い髪の女の子がこっちに向けて手を振っている。
誰?
「・・・くん?」
「・・・きくん!」
「末木君!!」
ハッと、名前を呼ばれていた事に気付く。目の前には心配そうにこっちを見ている加々美さんが立っていた。
「どうしたの?ぼーっとして」
「えっ!?ううん、なんでもないです」
僕は慌てて、心配してるその表情に言葉を返す。
「ところで今の話聞いてました?」
「えっ・・・話って?」
「もう。せっかく誘ったのに」
加々美さんはわざとほっぺを膨らませた。
「来月の花火大会。一緒に行きませんか?」
僕の心臓が跳ね上がる。
「えっ?それって・・・えっとつまり・・・」
動揺を隠しきれていない。
気になっている女の子から一緒に帰るだけでも緊張していたのを頑張って隠していたのに、そんな事を向こうから言われればもう緊張は限界を迎えてしまう。
「駄目・・・ですか?」
「ううん、そんな事ない!僕も加々美さんと行きたい!!」
今が夜で良かった。絶対に僕の顔は真っ赤になっているはず。そんな恥ずかしい姿、加々美さんに見られたくない。
「よかった。もし断られたらどうしようかと思っちゃった」
加々美さんも緊張していたのだろうか?凄く安堵な言葉と表情に変わっていた。
そして、その後は緊張しながらも他愛もない話をしながら僕らは帰途に発ったのだった。
―花火大会当日
僕は今まで生きてきた中で一番おしゃれな格好をしていた。
我ながらいつもしない格好なだけに鏡を見てはにやにやとしてる姿を見られ、「服に着せられてるね~」と親からからかわれていた。
待ち合わせよりも一時間も早く駅前に着く。
あれから僕と加々美さんは塾はもちろん、塾の外でもよく会うようになっていた。
傍から見たら付き合ってるのかと思われるぐらい出かけるようになっていた・・・というよりは付き合ってるよな?と自分でもそれぐらい友達以上の関係に進んだと思う。
夕方になるにつれて駅には浴衣を着たカップルや家族が集まり始めていく。
「そろそろ時間か・・・」
時間が近づくにつれて会える喜びを感じるはずなのに、何故だか不安な気持ちも強くなっていった。
「また、来れなくなった。・・・なんて流石に無いよな」
あれは、二週間前。勉強の気分転換に水族館に行こうと約束した日。加々美さんは約束の時間になっても待ち合わせに来ることが無かった。
電話やメールを送るもその日は返事が無く・・・それから三日後、
「ごめんなさい」
と返事が返ってきた。
別に僕らは付き合ってるわけではない。それ以上詮索するのは厚かましいと思い久しぶりに塾で会った時も
「良かった。元気で・・・」
と、明らかな嘘を吐いてしまった。
加々美さん自身もその態度に気付いていた。でも、
「心配させてごめんなさい。携帯が壊れてしまって連絡が取れなかったの」
と・・・僕に嘘を吐いたのだった。
―今思えば、あの嘘は僕を心配させたくないための嘘だったのだろうか。
美しく舞い上がる花火のように、一瞬に咲いては散る灯。
この後、僕はどうして加々美さんがこの町に訪れたのか。どうして僕と一緒にいたのか、その意味を知ることになった。
心配していた僕をよそに時間通りに加々美さんは現れた。白生地に薄い桃色の模様が入った浴衣を着た姿は何故か色っぽく思えた。
「待った?」
なんだ、この会話。まるで恋人同士の会話じゃないか。
と、勝手に浮かれるも、あの時みたいにならなくてよかったと心底ほっとしていた。
蜩の声と共に日は沈み始め、花火会場の提灯が灯し始めた頃、僕と加々美さんは知る人ぞ知る秘密の場所で今か今かと花火が上がるのを待っていた。
「懐かしいな~」
「えっ?」
「昔もこうやって花火を観たな~って、思い出しちゃった」
加々美さんはまるで子供の様に無邪気にその笑顔を僕に向けていた。
まただ・・・なぜだろう・・・何か僕は思い出さなければならない事があるはずだ。それが何か思い出せない。加々美さんと関係がある?
「どうしたの?」
また、心配そうに僕を見つめる瞳・・・。
記憶の中に浮かぶ青いワンピースの髪が長い女の子。
・・・そうだ。僕はこの瞳を知っている。
なぜ、気付かなかったのか・・・。
僕はこの女の子を知っている。
「加々美さん・・・」
僕は口を開いた。
「僕らは小学生の頃、この場所で会ってる・・・よね」
加々美さんの眼孔が開くのが分かった。
「・・・うん、やっと思い出してくれたんだね」
僕が気になっていた女の子。そして好きという感情が産まれた女の子は・・・僕の初恋の女の子だった。
「長かった。また、会えたね。私のヒーロー」
ヒーロー。そうだ、僕は幼い頃、ヒーローごっこをしていたやんちゃ坊主だった。
あの日も花火大会当日で僕はその時流行っていた戦隊モノの仮面を被り、親の目を盗んでは山の中を駆け回っていた。そんな時、一人で泣いてる女の子と出会った。
「何を泣いてるの?」
僕は仮面を被ったまま、女の子に話しかけた。
女の子はびくっと体を竦めたが、同じ年頃の男だと分かると、泣きながらお父さんとお母さんとはぐれちゃったと僕に教えてくれた。
「そうか。なら俺がお父さんとお母さんを探してやるぜ!!」
「えっ?本当?」
「ああ。なんてったって俺は悪いモノからみんなを守るヒーローだからな。人助けなんて朝飯前だぜ!!」
我ながら凄く恥ずかしい事を言っていたなと思った。でも女の子はそんな僕が気に入ったのか
「うん。お願いします!!」
と、泣くのを止めて笑ったのだった。
それからは僕は女の子を連れて両親を探し回った。でも、これだけ人が多いと思った以上に見つけるのも大変だった。
何時間も歩き回り、僕も女の子も体中に擦り傷や蚊に刺された跡が増え始めた頃、等々女の子は泣き出してしまった。
僕は凄く罪悪感に陥った。あれだけ見栄を張ったのに、女の子の願いも叶えてあげる事が出来ない。
僕の目にも涙が浮かび上がった。
泣いちゃいけない。我慢するんだ。
心はそう強く願っても、意識とは関係なく目頭が熱くなるのを止められなかった。
もう・・・無理だ
そう思った瞬間、
心臓を打たれたと思う程、大きな地響きと音が鳴った。
二人の後ろには、赤や黄色・・・緑や青など、色鮮やかな花が咲いた。
「・・・きれい」
「うん・・・きれいだ」
いつの間にか僕も、泣いていた女の子も花火に夢中になってた。
どれぐらいの時間が過ぎたのだろうか。
言葉を失う程、二人は無数に打ち上がる花火を眺めては、その時間を壊れ物を扱うかのように大切に感じていた。
花火が終わると僕と女の子は無言のまま手を繋ぎ、花火会場まで降りていた。
会場には僕の両親。そして女の子の両親が組合の人達と一緒に僕らを探していた。
僕らは両親を見るなり、泣きながらそれぞれの親の元へと走って行く。
僕は親の元へ行く前に、また明日も遊ぼと女の子と約束をしていた。
でも・・・女の子とまた遊ぶ約束が叶う事はなく、時は流れ僕は高校生になっていた。
「そっか・・・。じゃああの時の女の子は加々美さんだったんだね。ごめん、全然気づかなくて」
「ううん。仕方ないよ。だって髪型も変えたし、なによりあれから十年だよ。変わらない方が可笑しいよ」
「うん・・・そうだね。でも良く僕の事覚えていたね」
「うん。だって・・・私のヒーロ―だもの。忘れるわけないよ」
加々美さんはそう言うと、言った台詞が恥ずかしいかったのか下を向いてしまった。
「それに、この町に来たのももう一度君に会うためだったから。だけど・・・塾で会えるとは正直思っていなかったよ」
間違いなく僕の顔は真っ赤に紅潮していた。好きになった女の子からこんな事を言われるなんて思ってもいなかったから。
「忘れていたとはいえ、僕も加々美さんとこうやってもう一度会えた事を嬉しく思うよ」
だから、僕はこの気持ちを・・・加々美さんに告白した。
「加々美さん。僕は君が好きです。・・・付き合ってください」
かっこいいとは言えない。そんなひねりもない告白。でも、加々美さんにはあの頃の僕じゃない。今の僕として気持ちを伝えなければと直観でそう思った。
少しの沈黙後、加々美さんは下を向いたまま僕の方へと歩き出した。そして・・・
「ありがと。でも、今度は私も貴方を守らせて・・・貴方の傍にいさせて。あの時からずっとこうしたいと思っていたから・・・」
僕の胸で泣きながら、加々美さんは僕の身体をぎゅっと抱きしめていた。
「うん・・・二人で一緒に」
僕もその行動に応えるように、彼女をそっと抱きしめる。
そして、僕はその瞬間、彼女のその手を離さないと強く誓った。
―花火は僕らを祝福するように、二人を照らしながらその一瞬を咲かせ、そして、今僕の胸の中で顔を沈めてる加々美さんの灯が幻でなかった事を、僕は年を重ねても思い出すように、加々美さんの体温と香り。そして柔らかい肌を、記憶に刻みこんでいくのだった。
完